たくさん書きたいこと、まとめておきたいことはあるけれど。
現職の最終出社を終え、7年住んだ地を離れ、新天地での生活をスタートさせた一週間。それも、これまでと一番大きく違うのは「すべて自分の意思決定の結果による」ということ。
今の感情は、感謝と不安とワクワク。複雑な精神状態で、少し不安定になりがちかもしれない。
この先どんな未来が待っているのか。どんな未来であれ、自分らしく、今を一生懸命に生きよう。そして、後悔のないよう努力をしよう。
たくさん書きたいこと、まとめておきたいことはあるけれど。
現職の最終出社を終え、7年住んだ地を離れ、新天地での生活をスタートさせた一週間。それも、これまでと一番大きく違うのは「すべて自分の意思決定の結果による」ということ。
今の感情は、感謝と不安とワクワク。複雑な精神状態で、少し不安定になりがちかもしれない。
この先どんな未来が待っているのか。どんな未来であれ、自分らしく、今を一生懸命に生きよう。そして、後悔のないよう努力をしよう。
最終出社が着々と近づいてきており、最近は後輩の指導をかなり意識的に行っている。
思考プロセスの勉強会を開いたり、担当業務の状況整理につきあったり、ノウハウやテクニックを意識的に伝えたり。
そんな中で、改めて感じることは「人を育てる」ことの難しさ。
特に、自分が一歩引いた状態で、できるだけ教えている相手を立て、経験・アウトプットさせながら、成果につながるようにすることがとても難しい。
自分の今の目的は、自分がいなくなった後も同じように仕事が回るような状態を作ることなのに、どうしても自分が相手の仕事そのものに踏み込んで関わってしまうことが多い。
こういうのをうまくやろうとするのが、いわゆるコーチングなのだろうか。
一つふと思ったのは、自分と相手の関係性を見たときに、自分のほうが相手よりも「上」という状態を常に維持してしまっているのではないだろうか。
相手にとって超えられないと感じる存在になると、それで自分の自尊心は満たされるだろうが、自分がいうことが相手にとって絶対になってしまう。すると教えている最中から相手は思考停止をし、自分がいうことを待つようになってしまう。
本当は自分は相手から引き出したいのに、それをできないから仕方なく自分で手を出してしまう。
そんな繰り返しだろうか・・・という仮説。
どうして相手よりも「上」という状態になってしまうのか、どうしたら相手と「対等」になれるのか。
一つは傾聴の姿勢がカギなんだと思うのだけど、きっとそれだけじゃないんだろうなあ。少し考えてみなければ。
昨日はクラフトビールの勉強会。
元大手外資のビールメーカーのCFOだった方から、ファイナンシャルの視点を交えながらビールビジネスについてレクチャー。
数字を交えながらの講義はやはり面白かったな。
昨日の勉強会で思ったのは、やはり業界特性に起因する構造的な経済性からは逃れられないということ。
ビールはもはやグローバルレベルで買収合戦になっているが、そうなってしまうのにも構造的な理由がある。原価率が高くそこには規模が効くこと、相対的に物流費が高いこと、消費サイクルが早くてプレミアム価格をつけづらいこと(ここはやりようがあるとは思うが)、など。
買収による成長は悪ではないが、自分がそういう仕事に魅力を感じるかというと答えはノー。
だとしたら、あとは業界の特性を変えに行くこと。物を作るプロセスもだいじだけど、それ以上にビジネスとしての儲け方を変えに行くしかないかな、ということを思った。
4月から何をやるか、色々考えさせられたなー。何かに固執しないよう、志をもう一度見直してみてもいいのかもしれん。
毎日音楽を聴いていると、普段聞いている曲が時々わけもなく染み入ることがある。
ちょっと久しぶりに聴いて最近聴いている曲と曲調が違うとか、歌詞が心境にマッチするとか、要因は色々あるんだろうけれど、うまく説明できないこともしばしば。だけどそういう時は、音量を上げて、周りの音をシャットアウトして、その曲の世界にひたすら浸りたくなる。
そんな曲が、今日はこれだった。
不思議なpvだったな。でも、慣れ親しんだ今の場所を離れて、4月からの新しい環境に飛び込もうとしているから感じる、寂しさと不安と期待が響いたのかもしれないな。