ないものねだいありー

気づけば中堅社会人になった、30代中盤社会人の内なる思考をこぼしていきます。読書メモ多め。グロービスMBA修了。

11/28 巻き直し宣言

どんなにデキる人で、誰しも緩む時期はあるよね。そう思って。

大きな山を越えて、反動で動きが鈍くなるのも今日まで。気持ち切り替えて、また明日からがんばるぞ!

 

宣言でした。

10/16 読書メモ:お父さん、「葬式はいらない」って言わないで

54冊目。

お父さん、「葬式はいらない」って言わないで (小学館101新書)

お父さん、「葬式はいらない」って言わないで (小学館101新書)

 

 所要時間約1時間。

「お葬式不要論」が出始めた時代、その道の第一人者である橋爪氏が葬儀の持つ本質的な意義について記した本。第一人者でありながら、いやあるからこそ、「必要だ」という通り一遍の肯定論に落ち着くことなく、極めて中立的・本質的な視点から、葬儀の持つ意味と意義を考えようとしている良書。

 あとがきに記されていた著者の言葉が、その思慮深さを表しているように思う。

「葬儀とはそういうものじゃない」と決めつけることも、「だから葬式なんて要らない」と、すべて否定することにも違和感がある。遺された人の悲しみを受け止め、これからの人生を歩んでいく力をもらう、儀式としての葬儀をないがしろにしてはいけないからだ。

 

形態が形式的だ、それぞれの儀式の意義が分からない、金銭面が不明瞭である、など、とかくハード面がやり玉にあがる葬儀だが、そもそも葬儀とは、遺族が悲嘆から立ち直るための最初のプロセスとして重要な意味を持っており、形がどうとか金額がどうとかいうハードの視点から議論をスタートさせること自体、本質を外してしまう、というのが著者の主張。

愛する人を亡くして悲しみに暮れている人の心の問題をどう解消していくか、というところから出発し、おそらく先人たちは様々な形で救いを求めてきたのだろう。それが、今なお脈々と続いている、お葬式の形式であり、文化である。

 

ただ経営と同じように、文化も外部環境の変化を受ける。

昔は死が身近にあり、近隣住民が助け合いながら葬儀を行ってきた。幼いころから人の死に触れる機会があり、死は生の隣にあることが当たり前と考えられていた時代。そうして葬儀に主体的に参加することで、遺族は故人の死を受け入れ、悲しみを癒してきた。

ところが今は、高齢化&核家族化で、地域コミュニティも希薄化し、親の葬儀まで30年間近親者の死に立ち会ったことがないという人が増えている時代。葬儀は葬儀会社が行って、儀式そのものが人任せになるから、意味が分からず金もかかるとなると、まあそこにありがたみを感じなくなるのも分かるといえば分かる。ただそれで、本来の役割である悲嘆からの立ち直りというところは解決できるのか?

 

葬儀は誰のためのものか?という問いに答えるのは難しい。これは、亡くなった人のためでもあり、遺族のためのものでもあり、生前の関係者のためのものでもある。

ただ、葬儀の役割は何か?という問いに対しては、明確に「遺族を悲嘆から立ち直るきっかけとなること」が挙げられるだろう。葬儀の問題は、本質的に"こころ"の問題である、極めてソフトなものなのだ。

 

普通に暮らしていたら全く考えることのない、こういう問題を考えることができる、最近の日々は大変だけど有意義なのだろう。

がんばる、がんばる。

10/8 読書メモ:99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る

53冊目。気をぬくとすぐに期間が空いてしまう。。。

99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る

99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る

 

 所要時間約1時間。

こちらも10月期の参考書として読了。

 

震災後の宮城県山元町にて高品質イチゴ「ミガキイチゴ」を生産する農業生産法人GRA代表による、GRA設立の経緯からミガキイチゴの誕生、そして世界への挑戦を描いた本。

著者がグロービスの卒業生ということもあり、個人的には馴染みあるエピソード。

 

この本もマザーハウス山口さんの書籍と共通で、やはり困難な状況の中で事を成し遂げるには、想いの強さが根底に必要だということを感じさせられる。

一方このケースは、すでに会社経営の経験があったこと、MBAの体系立てた知識を有していたことなどから、より状況を整理し、戦略的に動いて行っているようだ。プロセスに大きな違いがあり、やはりここは人それぞれなんだなと感じる(自分としては、こちらのほうがトレースできそうなプロセス)。

個人的リソースを有効活用したということになるかな。

 

ただいくら整理された知識や豊富な経験があっても、困難をチャンスと捉えられるか、それを乗り越えるために現場での地道なコミュニケーションなどを重ねられるかなどは共通して大事なこと。

特に、専門外のことを知るには「人に聞く」ことが有用であることを最近改めて強く感じる。この心構えを大事に、目の前のことに向かい合っていきたい。

10/4 読書メモ:裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける

52冊目。 

裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける (講談社+α文庫)

裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける (講談社+α文庫)

 

 

所要時間1時間ちょい。

前回の続きの本。マザーハウスを立ち上げてから、いかにして拡大し、2ヶ国目まで展開していったかというところが書かれている。

前作がどちらかというと著者の半生を綴った、山口さん本人の価値観や思考など人間性が強く出ていた本だったのに対し、今作はよりマザーハウスという企業や途上国の実態をリアルに描くことに焦点が当たっている。

とにかくネパールでの裏切りにつぐ裏切りや、だらしない(と書くと失礼なのかもしれないけど)国民性がまざまざと描かれており、この地でビジネスを行うのはとんでもなく難しく、また危険なんだろうなと思った。

その状況下で、マザーハウスがネパール産の素材を使って新たに商品を作れたのは、諦めない想いの強さの賜物だったと思うけれど、一方ではネパールでの加工には見切りをつけたり、情に流されない決断をしたりと、事業性を担保するような経営判断をすることの大事さも合わせて見て取れる。きっと、山口さん自身もこの修羅場を経験する中で、そういうことを身をもって感じながら成長したんだろう。

 

この本を読んで考えたことは、マザーハウスはソーシャルビジネスなのだろうか?というところ。

社会的インパクトという意味ではマザーハウスは微々たる影響だと思うし、直接的には営利企業でだ。大きく違うのは、根底にある哲学の強さと明確さなのかな。

まおそもそも、ソーシャルか否か、ソーシャルの定義についての議論を深めて、どこまで意味があるのか分からないけどね。見方によれば、強いポリシーを持ってる営利企業だね。

 

あとは1冊目よりもマザーハウスの人たちについて人柄が書かれており、よりリアルさを感じながら読むことができた。山口さんと、山崎さんという副社長との関係は、今の自分とリーダーの関係に似ているな…

 

2冊通じて勇気がもらえた本だった。

社内ベンチャー、想いを通せるようにがんばろう。