ないものねだいありー

気づけば中堅社会人になった、30代中盤社会人の内なる思考をこぼしていきます。読書メモ多め。グロービスMBA修了。

2/15 思考の渦

朝から頭の中を思考がぐるぐると渦巻いている。

仕事のこと、将来のこと、生まれてくる子供のこと、家族のこと、などなど。時折、こういう日がある。し、最近こういう感覚に陥ることが多い気がする。かといって、「モヤモヤ」しているわけではない。

 

こういうのから特に引っかかる思考を拾い上げて、言葉やその他の形でうまく表現していけるようになりたいけど、どうしたらいいのかな。

とりあえず書き出してみることかな。

 

なんか、この記事もよくわからない記事になってしまった。

2/12 感情にゆらぎを

昨年末から今年のはじめにかけて、仲のいい人との別れだったり悔しい想いをしたり自分の環境の変化に伴うものだったり、結構感情のゆらぎを感じるときがある。

「ゆらぎ」というくらいだから、常にポジティブな局面を推移しているわけでは当然なく、むしろモヤモヤというのが強かったりもする。

ただ、そういう風に感情が揺らいでいるときは、普段と異なる感性が研ぎ澄まされているという感覚を受ける。色々な思考が浮かんでは消え、また浮かんではまた消える。普段とは違う音楽が聞きたくなるし、目に入るものから感じる物も変わる。

 

きっと、常に高揚している人生よりも、こういう「ゆらぎ」がある人生のほうが、面白いのかな、と思う。幅の広い、豊かな人生になりそうだと思う。
連休の最終日に、なんとなく、そんなことを感じたので、書き残してみた。

2/9 インプットからではなくアウトプットから

なにか物事を考えようとするときに、アウトプットの姿から本来考えるべきところ、インプットの要素に思考の労力を割きすぎてしまう癖があることに最近気づいた。

例えばグラフを作るとき、最終的に欲しいグラフのイメージから必要十分なデータを集めるべきところ、データの詳細な構造を細かく正確に詰めようとしてしまうとか。

 

「最近気づいた」のは遅すぎるような気もするが、一応作る前にはアウトプットの姿をイメージしてから作り始めているから、できている気になっていたという方が正しいか。

やっている最中に、細かいデータの構造に気を取られることが多いかな。途中でインプット側の要素が気になってしまうというか。

 

仕事でもグロービスでもそう。アウトプットから考えるのは思考の基本中の基本、ということで、もっとここを強く意識付けていこう

2/5 今日の言葉

Gの先生が紹介していた言葉。

 

【今日の言葉】

無我夢中ほど強いものはない
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越智直正(タビオ会長)
○月刊『致知』2018年3月号「天 我が材を生ずる 必ず用あり」(最新号)より

 

→逆に言うと、

「無我夢中にならなければ、最強になることはできない」か。

2/5 送別会

寿退社(というと随分ニュアンスが違うけど)する後輩と飲む。

入社までの背景、今の会社に対する思いや考え方、音楽の趣味、色々な部分で共通点を感じることができる後輩。

…後輩とは言いつつも、これまでの人生においてそのときなりの「究極の状況」に対して、身の丈の範囲で最大限の取捨選択を重ねてきていることを知り、彼女の人間的魅力の源泉に改めて触れた感じがした。

不思議と彼女に対しては、自分の中で煮詰まっていない考え方でも話すことができるし、色々なところに共感できる。その上、強さを持っている。見習うべきところがたくさんあるし、なによりやはり、人として魅力的だ。

 

そんな後輩とそうそう会えなくなるのはとても寂しい。

それと同時に、自分にとっても一歩を踏み出すべきタイミングなのだという確信を持てた1日でもあった。

今日が人生の転機となる日も、近いのかもしれない。

1/25 やっぱり鬱々としている

やばいなあ。最近本当にメンタル的に前を向くことができない。なんでだろう。

「やる気が起きない」のは、今一番力を入れたいと思うことと、一番労力を割かれる活動の不一致なんだと思う。そして、それから逃げられない(というか、逃げたくない。ただし、立ち向かいたいというポジティブな意志ではなくて、嫌われたくないというネガティブな気持ちが動機)。

一旦全部リセットしたいなあ。3月末まで我慢するかなあ。それしかないかなあ。

 

あと、仕事は新しい部署でやりがいはあることはあるんだけど、自分が価値を産んでる感じがしないのと、時間を自分でコントロールできないことが非常にストレス。

これは慣れとパワーの使い方なんだろうけど、、、

 

ああ、今日クラス頑張れば行けたよなあ。今更後悔している。

衝動的にサボるんじゃなかったよ。一応仕事はしてたけどさ。