ないものねだいありー

気づけば中堅社会人になった、30代中盤社会人の内なる思考をこぼしていきます。読書メモ多め。グロービスMBA修了。

7/12 自分の素直な欲求と向き合ってみながら、キャリアの目的を考える

久しぶりに早寝早起き。11時ー5時。

同じ6時間でも、疲れの取れ方が違う気がするのは、やはりゴールデンタイムを通っているかどうかの違いなのだろうか。

 

朝の時間が久しぶりすぎて、何をしたらいいか一瞬わからなくなったけど、この時間が今日一日しかないと思うからそう感じるんだと気づいた。あぶく銭的な感覚、違うのは今しか使えないということ。

だから、この時間を習慣化するといいのかもしれない。どう消費しよう、ではなく、どう投資しよう、という長い時間で考える必要がある。

そんなわけで、今日はブログを書く時間にあててみた。やはり、朝の時間はいい。雑念が少ないし、頭も冴える。集中力が持続する。

夜は誘惑と欲望の時間、朝は賢者の時間。みたいな感じ。

 

さて全然違う話から始めてしまったが、今日書こうと思ったことは、最近頭を巡らせることが多い、中長期で見たキャリアのこと。

タイトルだけ見るとすごく一般的な言葉だが、その一般的なことで色々考えているのだからまあ仕方ない。

それだけ普遍的なテーマである、とも言える。世の中的にも、自分的にも。

 

なんでこんなことを書いているかというと、いわゆる昇格試験のタイミングが近づいてきているからだ。

転職して1年目だった昨年は、様子見の意味も込めてチャレンジし、まあ予想通り受かることはなかった。

だが今年は、主観的にも客観的にも、それなりに可能性はあるように感じている。だからこそ、「なんのためにマネージャーを目指すのか?」という自分の気持に、一度向き合ってみる必要がある、と感じている。

 

率直に言って、自分は「昇格することが目的化」している部分もそれなりにある。つまり、昇格して何をしたいのか、ではなく、とにかく昇格したい!という気持ちだ。

この気持には、そもそも昇格は目指して当たり前、という固定観念が土台にあり、かつその上に2つの動機がある。金銭的な動機と、承認欲求的な動機だ。ああ、生々しい。

いくら志高く、綺麗なことを言っても、自分はこの2つが人並みにはあることを自覚しなければならないな、と感じる。

 

前者も後者もシンプルな動機だ。

前者はやはり、お金で苦労する人生を送りたくない、という気持ちがある。専業主婦の妻(将来的な正社員復帰はあまり望めない性格)、子供1人(できればもう1人はほしい)を養うために、古い言い回しではあるが大黒柱として、いつまでも今の年収だと頼りなさすぎる。家もほしいし、旅行もしたい。家族のためにも、自分のためにも、お金に余裕のある生活は送っていきたいと思う。

後者はひとえに肩書だ。なんやかんや言いながら、そういう肩書を持っている人に対して憧れる気持ちはずっと持っている。もう30にもなったし、そろそろ他人に対して自身を持てる肩書がほしい、という動機といえる。

正直だ。MBA取っただの志だのなんだかんだ言っても、こういう欲求を常に抱いている自分とは向き合わないといけないとつくづく感じる。

 

と、一旦自分の素直な欲望を吐き出してみたところで、この気持に別の角度から向き合ってみる。

金銭と承認欲求の充足だけがならば、手段は「今の会社で昇格」以外にも数多あるのではないか?ということ。

例えばお金を満たすのであれば、正直今の会社の給与水準は決して高い方ではない。管理職になれば確かに日本全体の平均よりは高い水準の給与をもらえるとは思うが、とはいえ上げ幅はたかがしれている。もっと給与水準のいいところに転職をしたり、副業をするなどしたほうが圧倒的に早い。

承認欲求にしても、例えば副業で所属組織を増やせばそれなりに承認される機会も増えるし、独自性の確立につながれば、人から「あの人面白い」と思われることも増えてくる。

そう、だから効率よく上2つの欲求を満たすだけなら、もっと視野を広げて、色々な選択肢を考えるべきなのだ。

 

それからもう一つ大事なのが、金銭と承認だけを動機に昇格を目指してしまうと、昇格できた瞬間にそれがある程度満たされてしまう。

つまり、昇格後に走りはじめる動機が欠けてしまうことにもつながるのだ。

これは、自分にとっても会社にとっても、シンプルに良くない。

 

こういうことがあるから、自分がなんのために昇格を目指すのか、昇格した先にどういうことを目指すのか、ということに、きちんと目を向けた上でチャレンジする必要があるな、と感じる。

もちろん、昇格してから気づく世界もあると思うが、そうだとしても、事前にきちんと考えておく意味はある。

 

さてそうなったときに、自分が今の時点で「昇格したら目指したい」と思うことは何なのか。

この先はまだまとまらない部分なので、これからアップデートしていく必要があるが、この問いを考えたときに、パッと思うことは、自分が「すごい」「尊敬できる」と思える人たちのようになりたい、ということかもしれない。自己実現欲求、理想像の追求、みたいなところかもしれない。

すごいと思える人、という人はもちろんたくさんいる。たくさんいるのだが、そういう人たちの中でどういうところを「すごい」と感じるのかということを抽出してみると、「いろいろな入力情報を、豊富な経験と知識に照らして処理し、大多数の人が気づくことができない洞察を得て、その方向に向かって『こうすべきだ!』というスタンスを取ることができる人」ということかもしれない。

そう、自分がなりたい像というのは、「こうすべきだ!」という方向を示し、たとえ周囲から反対が多かったとしても、確固たる自信というか信念というか自我というか、を、持ち続けることができる人、なのだ。

他にもあるかもしれないが、明確にこれは一つある。

 

こういう人になりたい、ということを念頭に置くと、自分がなぜ昇格を目指したいのか、というところに一つの解を得たと思った。

つまり、このような「ベクトルを示す能力」を持つには、当然そういう経験を積む必要がある。その経験というのは、何らかの組織を一定期間率いる経験だ。なぜなら、最後の「スタンスを取る」というのは、他人に対して方向を示すということであり、これはリーダーとしての役割だからだ。

今でも自分の立場として、できることはやれていると思うが、自分が目指す像にたどり着くには、数年以上という中長期の単位で、組織を率い、メンバーと向き合い、責任を負いながら、発展させていく経験は必ず必要になってくるのだ。

だからそのためには、「その組織を自分だったらどう発展させていくか」というビジョンを持ったうえで、昇格してその実現に向けてひたすらに努力する、という経験が必要になってくる。

これはいたずらに色々な経験を積むこととか、自分がプレイヤーとして頑張るとか、そういうことではいつまでもたどり着けない世界なのだ。

 

この欲求を、一言で言うなら「優れたリーダーになりたい」ということだ。

立場としてのリーダーではない。人は生まれながらにしてリーダーだとかいうことでもない。

それに近づくために、まずは昇格を目指すということなのだ。

 

あー、なんだかスッキリした。

この問を最初に立てたときに、ぼんやり「リーダーになりたい」なのかな、と思ったりしたが、結局そこにたどり着いたな、という感覚。でも、その思考の過程を言語化できたことはとても良かった。

今日の話は、自分の欲求のことで、リーダーになって社会的にはどういうことをしたいのか、という別の視点も言語化する必要がある(より"志"チックなこと)けど、それはまた今度で。

 

いい朝の時間が過ごせて満足感。

今日も一日、充実して過ごそう。