ないものねだいありー

気づけば中堅社会人になった、30代中盤社会人の内なる思考をこぼしていきます。読書メモ多め。グロービスMBA修了。

10/3 「決断」の重み

やや間が空き、気づけば10月。

酷暑の夏から一転して過ごしやすい秋。むしろちょっと寒いくらい。

そして今年は台風が多い。次の連休も来るのだろうか。

 

さて8月末に終えた転職活動、実はまだ最終決定をしていない。

本当は9月下旬に答えを出す予定だったのが、先方がやり取りの中で不安と迷いをまだ抱いている自分を察し、それならばと社長との会食をセッティングしてくれた。

同時に、流石に一時の露骨な反対は収まったものの、未だ転職に懐疑的な父親との転職先視察(居住地も含む)も行うことにした。

これが、どちらも明日。明日を経て、決断を下す。つまりどう転ぼうとも、明日は自分の29年の人生において、間違いなく最大のターニングポイントとなる日である。

 

決断、という言葉の真の意味を、これほどまでに大きく感じたことはこれまでなかった。

決めて、断つ。つまり、ある選択肢の中から何かを選び、同時に何かを捨てる。それはトレードオフであり、両立は決して叶わない。そして、不可逆的である。

「捨てる」という意思決定が、こんなにも怖く、不安をつきまとうものだとは思ってもみなかった。

 

自分の中では、転職する方向で心は決まっている。現職におけるキャリアに未練はないし、転職先の方がやりがいを持ちイキイキと働けると思っている。

ただ最後に引っかかっているのは、不安と申し訳なさという感情だ。不安は会社が小さくなることに伴い手当が下がるとかビジネスリスクが高くなるとか色々あるが、最後は「自分が本当に活躍できるフィールドか」この見極めに尽きる。結局活躍できれば上に書いたような不安は一掃できるが、優秀な人が多く集まっていそうだし、面接で話した人たちからは粒揃いな印象を受けた。そこに未経験職種の自分が入っていけるのか、という不安。

もう一つの申し訳なさは言葉の通り。今の環境では、自分で言うのもアレだが世代内エース的な扱いをしてもらっており、お陰で評価も高いしさまざまな教育投資・機会投資もしてもらっているし、仕事の幅も広がっている。また周りの人との関係性も決して悪くなく、仕事外で付き合える仲間もいる。仲のいい先輩、気のおけない同期、可愛い後輩もいる。この関係を断って、外に飛び出すと言うことを想像したときに、気持ちが重くなるし、本当にいいのか?という問いも湧いて来る。

 

最後は、自分は何のために生きるのか、ということを貫いて、そこに覚悟を決める、ということなんだろう。

残り僅かな時間だが、悔いのない決断のためにもしっかり考え抜いて、腹を括ろう。