ないものねだいありー

気づけば中堅社会人になった、30代中盤社会人の内なる思考をこぼしていきます。読書メモ多め。グロービスMBA修了。

1/23 思いがけず得た休みに振り返り

恒例の年末年始の振り返りもせず、気が付いたら2018年1月も後半に差し掛かってしまっている今日。

週末からインフルエンザにかかり、この4日間は仕事はおろか妻とも極力接することのないよう隔離生活を送っていた(妻は妊娠中なので移すと一大事)。

久しぶりに一人で過ごす時間に、身体はもちろん心も少しばかりリフレッシュできた気がする。ケガの功名というやつかな。相当無駄な時間の使い方もしたけれど。笑

 

最近はあまりブログに書き残すような思考が、あまり沸いてこなかった。

これはなんでなのか、いくつか理由があるような気がするけれど、大きな理由は2つかな、と思う。

1つは、単純に時間に追われていること。あと3か月で卒業するグロービス、この1月から新しい部署に異動になった仕事、3月に控える第一子の出産準備、それぞれやることがたくさんあって、あっちこっちに気を向けていないといけないのが大変だということ。

もう1つは、こちらの理由のほうが大きいと思われるのだけれど、前向きな思考が湧きづらくなっていること。それは、単純に「時間に追われている」からというわけではなく、追われている活動の中に少なからず自分の身が入らない活動があるからというのと、一山超えた先に自分が長い期間かけて打ち込みたいと思えることが見当たらない、という二つのことがあり、鬱々としがちな感じがある(一応言っておくと、出産はとても楽しみにしている)。

 

身が入らない活動は分かっている。それは、ここには書かないほうがいいだろう(具体的に言葉にしてしまうと、その言葉が自分に対してより強い意味を持ってしまうと思うから)。

ただ、この活動にはおそらく終わりがある。長くてもあと数ヶ月~半年。自分にとって全く持ってムダということもないし、負荷のかからない範囲で、自分にとってプラスになるように取り組んでいけばよいのだ。

 

それよりも、この忙しさが一山超えた後に、自分が打ち込んでいけそうなことがない・・・というのが、自分にとって深刻な気がしている。

まあ、要するに、今の環境に居続けたとして、現実的に先々取り得る選択肢は大きく二つの方向に分かれていて、その二つとも、自分にとっては今後本当に取り組んでいきたいことなのかということ。またその環境の中で、あがいて第三の選択肢を勝ち得たとして、それは本当に自分が生涯かけて取り組んでいきたいことなのか、ということ。

言ってしまえば、今の場所に居続けることが、自分の人生にとって正解なのか・・・ということ。

 

「戦略」という言葉には、色々な意味があるが、戦略を語るときに重要な要素として「まず自分が有利になる環境に身を置く」ということがある。ポジショニング論である。

自分がその環境の中でどのように戦いを構築していくか、というのももちろん戦略の要素である。環境が決まれば、そこには法則めいたものが数々働いていて、その中で勝ち上がるために必要なことというのはある程度決まってくる。それに対して、自分の持っているものと照らしながら、どのような戦術を組み合わせて勝ち上がっていくか、というのが、戦略の考え方である。

これは全く結構な考え方ではあるのだが、この前手に、先に書いた「土俵の選択」というものがあるのを忘れてはいけない。今の土俵に縛り付けられている必要は、ないのだから。

 

まあ、最終的には「志」なんだろうな、と思う。

物を通じて人を笑顔にしていきたい。人の笑顔を感じたい。その気持ちに共感して、自分も笑顔になりたい。そのシンプルな気持ちは、ずいぶん前から変わっていないのだから、そろそろこれに忠実に生きてもいいんじゃないかな、と思う。

もっと正直に、シンプルに。

 

 

んん、思いがけず取り留めなく色々書いてしまった。

最近文章書いていないから雑然としてしまった感が強いけど、仕方ない。

たまにはこういうのも、ね。