ないものねだいありー

気づけば中堅社会人になった、30代中盤社会人の内なる思考をこぼしていきます。読書メモ多め。グロービスMBA修了。

11/6 ブログ再開

気づけば最終更新から約1年。
この1年間は、自分のこれまでの人生でも有数の激動の一年だった。
それ故大きく成長できた一方で、ここ最近は慣れも出てきており、成長鈍化が見られている・・・気がする。

 

そんな課題感をもとに、このブログを再開しようと思う。

・読み手に伝わりやすい文章を、短時間でコンパクトに書く

・自分の経験や思考を言語化し、第三者に伝わるような言葉で書く

・自分なりの解釈を伴う文章を継続的に書くことで、発想力の向上につなげる

大きくこのあたりを課題設定としながら、改めて頻度にこだわりすぎることなく、ゆるりと再開していこうと思います。

 

「自分に勝つのが一番難しいし一番楽しい」とは先日日ハムの監督に就任した新庄さんの一言。

この言葉を胸に刻みつつ、ときに深く考えてみつつ、アウトプットしていこうと思う。

11/22 調子のいいときこそ、振り返りをしてみる

このブログは自分の思考や精神状態のバロメーター的なところがあって、何か不安や不満要素を抱えている=モヤモヤしているときほど、ここに書きたいと思う気持ちが強くなる。

言い換えると、自分にとってこのブログを書く目的は「悩みを吐き出して精神状態を安定化させること」。つまり、ブログを書く気にならないときは、それだけ日々(特に仕事面において)充実感を持って過ごすことができているということなのだ、ということに最近気づいた。

誰のためでもない、自分のために書いているブログだし。時折、毎日更新と宣言してはすぐに滞ることがあるけれど、まあそれでいいんだと思う。

 

こんなことから書き始めると、何か悩みや不安があってこのブログに向き合っているようにも見えるが、全くそんなことはない。むしろ逆で、このところ毎日とても満足度高く過ごすことができている。

ではなぜ今この記事を書いているのか、というと、一言でいうとタイトルの通り。調子がいいときにこそ、たまには足を止めてきちんと振り返りをしてみることが大事だな、と思ったからだ。

そのきっかけは、グロービス時代の恩師の一人のこんなツイートを見て。最近内省を怠っていた自分は、ドキリとした。どんなに貴重な経験を積んだとしても、内省をしないと忘却の彼方へ流れ去ってしまう。

 

そんな自分の近況はというと、前回の記事で書いていた昇格試験には無事に受かり、来年から「上司」という新たな立場で仕事をすることになった。

今はそれに向けて部署戦略などの準備をしているところで、それはそれで大変ではあるのだが、しんどさはほとんど感じていない。やることは多いが、かといって過多ではなく、残業も適度な水準で押さえられている。スキル的にちょっと背伸びをしているが、決して伸び切っているわけでもない。いわゆる、フロー状態で仕事をできているような状態だ。

next.rikunabi.com

余談だが、仕事が好きかどうかに関係なく、やっぱり残業の「量」は精神衛生に影響してくると感じる。多すぎず少なすぎず、当人にとって程よい水準に抑えられていることがとても大事だな、と。

 

また、前回の記事ではキャリアの目的について悩んでいたようだが(そんな悩みを抱えていたことをすっかり忘れていたwこういうことがあるから時々ブログを書くことは大事)、そんなことも一切ない。

昇格したら燃え尽きるのでは、というのは杞憂に過ぎず、むしろ来年から新しい組織でどうアウトプットを出していこうか、というところを、地に足つけて考えられている状態だ。

多分今、客観的に見てもいい状態で仕事ができていると思うし、まだ新しい立場では完全には始まってないなりに、自分でもどこか一つステップが上がったような気がしている。

 

では過去の自分と比べて何が変わったのか、というところでいうと、今一番感じるのは、「人を信頼して、委ねる」という考え方ができるようになってきていること。これまで、特に前職時代は、例えば後輩に対して「任せる」と伝えながらも、結局は任せきれていない、ということがままあった。逐一口を出してくるので、当人も任されて気にはなっていなかっただろう。

別の見方をすると、「自分でやったほうが早い病」だったのかもしれない。

自分でやった方が早い病 (星海社新書)

自分でやった方が早い病 (星海社新書)

  • 作者:小倉 広
  • 発売日: 2012/05/25
  • メディア: 新書
 

 

それに対して、今はある一定の範囲とやってほしいことを決めて、その枠を相手に伝え、最初にレクチャーをした後に、あとはすべて委ねる!という考え方ができている。これは、今度から一緒の部署で働く人達の実力があってシンプルに信頼できるという点もそうなんだろうけど、それだけでなく、自分のマインドセットが変わりつつあるというのもそうなのだと思う。

ちなみにその土台になっているのは、こちらの本。自律的なチームを作るために、情報共有/枠組み提供/訓練の3点を行う、ということを、実践し始めることができているんだろうなあ。

 

また書きながら気づいたが、今の気持ちは「任せる」より「委ねる」なんだな。この2つの言葉の違いは微妙なようで大きな違いがある。調べてみると、実際意味合いが違うようだ。

hinative.com

 

とはいえ実践フェーズに入っていないので、動き出したら色々と悩むこともあるとは思うが、ここまでに書いているマインドを忘れなければ大丈夫じゃなかろうか、と思う。

それを忘れないようにするためにも、今ここで書き記しておくことが大事、なのかもしれない。

 

あとはこの先起きそうなこととして、自己の成長に対する悩みを抱える、ということはあるかもしれない。

というのも、最近は「経験で学ぶ」以上の学習と成長をできていないように感じている。それは、直近の仕事を通じて得ることが多く、それでお腹いっぱいになっているということも正直あるのだが、とはいえなかなか読書にも身が入らないし、仕事が終わると家族&プライベート(といっても最近はもっぱらスマホゲーム。それはそれでよろしくない)の時間に充ててしまっているという現状があり、以前のような学習から成長というサイクルを回すことが十分にできていない、という実感があるからだ。

だが、組織の器はそのトップに立つ者の器に依存する、という言葉がある通り、自分がその部署を任されることになった以上、やっぱり自分はこれからきちんと成長を図っていかないといけない。おいおいさらに実力がある人が入ってくることが見えているので、なおさら。そのための自分なりのやり方を確立する必要がある。

インプット→議論→定着、というサイクルを回すための、自分にフィットしたやり方を探していくことが、今後の大きなテーマかな。そういう意味では、このブログの意味合いも、これまでの「悩み吐き出し」の役割から、「学びの定着のため」の役割へと変えていってもいいかもしれない。

 

久しぶりに、まとまった文章を書いた。

毎日とは言わずとも、もう少し頻度高く、振り返りをしにこよう。自分の成長のためにも。いや、成長というよりも、より確固たる自己の確立のためにも。

 

7/12 自分の素直な欲求と向き合ってみながら、キャリアの目的を考える

久しぶりに早寝早起き。11時ー5時。

同じ6時間でも、疲れの取れ方が違う気がするのは、やはりゴールデンタイムを通っているかどうかの違いなのだろうか。

 

朝の時間が久しぶりすぎて、何をしたらいいか一瞬わからなくなったけど、この時間が今日一日しかないと思うからそう感じるんだと気づいた。あぶく銭的な感覚、違うのは今しか使えないということ。

だから、この時間を習慣化するといいのかもしれない。どう消費しよう、ではなく、どう投資しよう、という長い時間で考える必要がある。

そんなわけで、今日はブログを書く時間にあててみた。やはり、朝の時間はいい。雑念が少ないし、頭も冴える。集中力が持続する。

夜は誘惑と欲望の時間、朝は賢者の時間。みたいな感じ。

 

さて全然違う話から始めてしまったが、今日書こうと思ったことは、最近頭を巡らせることが多い、中長期で見たキャリアのこと。

タイトルだけ見るとすごく一般的な言葉だが、その一般的なことで色々考えているのだからまあ仕方ない。

それだけ普遍的なテーマである、とも言える。世の中的にも、自分的にも。

 

なんでこんなことを書いているかというと、いわゆる昇格試験のタイミングが近づいてきているからだ。

転職して1年目だった昨年は、様子見の意味も込めてチャレンジし、まあ予想通り受かることはなかった。

だが今年は、主観的にも客観的にも、それなりに可能性はあるように感じている。だからこそ、「なんのためにマネージャーを目指すのか?」という自分の気持に、一度向き合ってみる必要がある、と感じている。

 

率直に言って、自分は「昇格することが目的化」している部分もそれなりにある。つまり、昇格して何をしたいのか、ではなく、とにかく昇格したい!という気持ちだ。

この気持には、そもそも昇格は目指して当たり前、という固定観念が土台にあり、かつその上に2つの動機がある。金銭的な動機と、承認欲求的な動機だ。ああ、生々しい。

いくら志高く、綺麗なことを言っても、自分はこの2つが人並みにはあることを自覚しなければならないな、と感じる。

 

前者も後者もシンプルな動機だ。

前者はやはり、お金で苦労する人生を送りたくない、という気持ちがある。専業主婦の妻(将来的な正社員復帰はあまり望めない性格)、子供1人(できればもう1人はほしい)を養うために、古い言い回しではあるが大黒柱として、いつまでも今の年収だと頼りなさすぎる。家もほしいし、旅行もしたい。家族のためにも、自分のためにも、お金に余裕のある生活は送っていきたいと思う。

後者はひとえに肩書だ。なんやかんや言いながら、そういう肩書を持っている人に対して憧れる気持ちはずっと持っている。もう30にもなったし、そろそろ他人に対して自身を持てる肩書がほしい、という動機といえる。

正直だ。MBA取っただの志だのなんだかんだ言っても、こういう欲求を常に抱いている自分とは向き合わないといけないとつくづく感じる。

 

と、一旦自分の素直な欲望を吐き出してみたところで、この気持に別の角度から向き合ってみる。

金銭と承認欲求の充足だけがならば、手段は「今の会社で昇格」以外にも数多あるのではないか?ということ。

例えばお金を満たすのであれば、正直今の会社の給与水準は決して高い方ではない。管理職になれば確かに日本全体の平均よりは高い水準の給与をもらえるとは思うが、とはいえ上げ幅はたかがしれている。もっと給与水準のいいところに転職をしたり、副業をするなどしたほうが圧倒的に早い。

承認欲求にしても、例えば副業で所属組織を増やせばそれなりに承認される機会も増えるし、独自性の確立につながれば、人から「あの人面白い」と思われることも増えてくる。

そう、だから効率よく上2つの欲求を満たすだけなら、もっと視野を広げて、色々な選択肢を考えるべきなのだ。

 

それからもう一つ大事なのが、金銭と承認だけを動機に昇格を目指してしまうと、昇格できた瞬間にそれがある程度満たされてしまう。

つまり、昇格後に走りはじめる動機が欠けてしまうことにもつながるのだ。

これは、自分にとっても会社にとっても、シンプルに良くない。

 

こういうことがあるから、自分がなんのために昇格を目指すのか、昇格した先にどういうことを目指すのか、ということに、きちんと目を向けた上でチャレンジする必要があるな、と感じる。

もちろん、昇格してから気づく世界もあると思うが、そうだとしても、事前にきちんと考えておく意味はある。

 

さてそうなったときに、自分が今の時点で「昇格したら目指したい」と思うことは何なのか。

この先はまだまとまらない部分なので、これからアップデートしていく必要があるが、この問いを考えたときに、パッと思うことは、自分が「すごい」「尊敬できる」と思える人たちのようになりたい、ということかもしれない。自己実現欲求、理想像の追求、みたいなところかもしれない。

すごいと思える人、という人はもちろんたくさんいる。たくさんいるのだが、そういう人たちの中でどういうところを「すごい」と感じるのかということを抽出してみると、「いろいろな入力情報を、豊富な経験と知識に照らして処理し、大多数の人が気づくことができない洞察を得て、その方向に向かって『こうすべきだ!』というスタンスを取ることができる人」ということかもしれない。

そう、自分がなりたい像というのは、「こうすべきだ!」という方向を示し、たとえ周囲から反対が多かったとしても、確固たる自信というか信念というか自我というか、を、持ち続けることができる人、なのだ。

他にもあるかもしれないが、明確にこれは一つある。

 

こういう人になりたい、ということを念頭に置くと、自分がなぜ昇格を目指したいのか、というところに一つの解を得たと思った。

つまり、このような「ベクトルを示す能力」を持つには、当然そういう経験を積む必要がある。その経験というのは、何らかの組織を一定期間率いる経験だ。なぜなら、最後の「スタンスを取る」というのは、他人に対して方向を示すということであり、これはリーダーとしての役割だからだ。

今でも自分の立場として、できることはやれていると思うが、自分が目指す像にたどり着くには、数年以上という中長期の単位で、組織を率い、メンバーと向き合い、責任を負いながら、発展させていく経験は必ず必要になってくるのだ。

だからそのためには、「その組織を自分だったらどう発展させていくか」というビジョンを持ったうえで、昇格してその実現に向けてひたすらに努力する、という経験が必要になってくる。

これはいたずらに色々な経験を積むこととか、自分がプレイヤーとして頑張るとか、そういうことではいつまでもたどり着けない世界なのだ。

 

この欲求を、一言で言うなら「優れたリーダーになりたい」ということだ。

立場としてのリーダーではない。人は生まれながらにしてリーダーだとかいうことでもない。

それに近づくために、まずは昇格を目指すということなのだ。

 

あー、なんだかスッキリした。

この問を最初に立てたときに、ぼんやり「リーダーになりたい」なのかな、と思ったりしたが、結局そこにたどり着いたな、という感覚。でも、その思考の過程を言語化できたことはとても良かった。

今日の話は、自分の欲求のことで、リーダーになって社会的にはどういうことをしたいのか、という別の視点も言語化する必要がある(より"志"チックなこと)けど、それはまた今度で。

 

いい朝の時間が過ごせて満足感。

今日も一日、充実して過ごそう。

6/17 「こころを掴む」オンラインセミナー

久しぶりの日記。

もう6月か。前の記事がちょうど2ヶ月前くらい。

この2ヶ月はだいぶ走り続けた。大変だったけど、以前よりもだいぶ仕事が板についてきた気がしている。

マーケターの端くれ程度にはなれているかな。

 

さて今日はGLOBIS主催のオンラインセミナーに出てみた。

最近こういう機会にエントリーしていなかったが、テーマがマーケティングど真ん中であり、一度受講してみたいと思っていた人だったので、出席。

色々印象に残る言葉はあったが、一番は「他人の心を掴むことができるのは、自分と向き合い続けることができる人だけだ」という言葉だった。

曰く、他人の心は本人に聞いてもわからないので、「自分の中の大衆」と会話するしかないということ。一人の人の中には無数の価値観を持った人が存在していて、その「大衆」との会話、すなわち自分と向き合うことができさえすれば、他人の心を掴むことができる(ただしそれはすごく大変)ということだった。

 

とても記憶に残る考え方だし、自分である人になりきって価値観を探っていく、というのはすごくしっくり来る部分がある。

今読んでいる、西口さんの「顧客起点マーケティング」とも通ずるところがありそう。

 

そして、自分と向き合う、ということの一つが、このブログに記事を書く、ということでもある。(だから久しぶりに記事を書いてみた)

別に書かなくても考えていればいいみたいだけど、いい機会だし、またこのブログをできるだけ毎日書くようにしてみよう。

4/19 嫌われる勇気

読んでるけど、なかなかに刺さるなぁ〜

これは確かに、多くの人に響くわけだ。

 

劣等コンプレックスね。見かけの因果律ね。

まだ序盤だけど、やっちゃってるなあー。と思いながら読んでます。

4/18 自分が何者になりたいかを考えるときには、自分が持っているものを見つめなおしたほうが良いという話

最近色々な仕事に追われていて、思考を整理する余裕がなかった。

いや、正確には余裕は作ろうと思えば作れたのだけど、その気持ちになれなかったということが正しいか。

「嫌われる勇気」(まだ読み始めたばっかりだけど)に書かれている、目的論的に言えば、追われている状態を欲しているということなのかもしれない。うーん、そうな気がする。

これをどう切り替えるべきかは、もうちょと読み進めてみよう。

 

さておき。

先月の記事で35歳をマイルストンにしよう、それまでに意思決定をしよう、と書いたからか、最近「自分はどういう人間になりたいか」ということをよく考えるようになった。

ぶっちゃけ記事を書いたことは忘れていたけど、それを考えているということは、深層的に覚えていたということだな。ブログの意味があったということだ。

 

で、どういう人間っていうのはいろいろな視点から定義をすることができると思うのだけど、視点の一つに「どんなスキルセットを持った人間か」というのがあると思う。

例えばマーケティングブランディング、戦略論、データサイエンス、などなど。要は、自分は何をもって人との差別化を図るのか、ということだ。

この点について、新しい人が入ってきたり、色々と仕事でフェーズの変化があったりしたからか、最近よく考えている。

 

自分はよくも悪くもジェネラリストタイプなので、割と何でもできてしまうタイプ。

逆に言うと、そこまで専門性を突き詰めるタイプではないので、何かでとびぬけて秀でるということがあまり得意ではない。

で、もっというと、ジェネラリストに寄りつつ専門性を突き詰めたい気持ちもある、ジェネラリストとスペシャリストの中間(曖昧…)みたいな感覚でいる。

例えばジェネラリストが8/10を60%のレベルでできる人、スペシャリストが1/10を120%のレベルでできる人だったとしたら、自分は4~5/10を80%のレベルでできる人、みたいな感じだ。

 

それからもう一つ、自分は移り気であるということ。

一つのことをずっとやり続けるのはあまり得意ではなく、色々なことをどんどんやっていきたいと思うタイプだったりする。

これもこれ自体はそこまで悪いことではないと思うのだが、これが悪く出ると「飽き性」みたいになり、いつまでも何も上達しないということになる。

 

というような中で、自分はこの先どう学びを重ねていけばよいか。

これを書きながら、自分の「学びの回遊範囲」を定義して、その中をぐるぐると回りながら学びを重ね、長めの時間をかけて「複数の高いレベルを持つジェネラリスト」になればよいのではないか、とふと思った。

そうすれば、自分の性格をうまく生かしながら学びを重ねていくことができるかもしれない。

一つ一つの学びに時間がかかるようになるので、一度学んだ内容を忘れないようにすることは課題かもしれないが、まあそれはやりながら考えるようにしよう。

 

↑の回遊範囲、今ざっと考えてみたとき、大きくこんな5つが考えられるのではと思った。

・戦略思考系(マーケティングブランディング、経営戦略、論理思考)

・数値分析系(財務会計統計学

・対人関係系(チームビルディング、人材マネジメント)

・ITスキル系(プログラミング、コーディング)

・論理思考系(クリティカル・シンキング、プレゼンテーション)

もちろんこの中での優先順位付けと取捨選択は必要。なので、その選択には「自分がどんな人間になりたいか」の明確な定義をしなければいけないことには変わりがない。(無競争状態を手に入れる、独自性のあるポジション)

ただ一方で、そういうのは学んでいくうちに見えてくるということもあるので、今はあまり捨てすぎずに考えればいいのかな、と思う。

幸い、あと5年ある。

 

うん、ちょっと思考がすっきりした。

やっぱり内省して、それを文字に起こすのは大事だな。

今夜は本を読もう。

 

3/14 次の人生のマイルストン

なんとなく。なんとなくではあるのだけど。

 

35歳を次のマイルストンとしようと思った。
そこまでに、「自分はこの先どんな人間として生きていきたいのか」を決めようと思った。

それはつまり、自分をどうブランディングするのか、自分の戦略的ポジショニングをどう置くのか、そして人生の中で何を「やらない」のか、ということを、「決める」ということだ。

 

方法論はいくらでもある。
でも、自分が何者になるのか、を決められるのは自分だけ。誰かが決めてくれるはずもない。
そう、決めの問題なのだ。そしてそれは、自分がこれまでずっと避けてきたことでもあると思うのだ。


色々と模索しつつも、自分はどんな人間としてあと50年生きていきたいのかをしっかり決めよう。そして、それに向けて長期スパンでまた人生を考え始めよう。