ないものねだいありー

気づけば中堅社会人になった、30代中盤社会人の内なる思考をこぼしていきます。読書メモ多め。グロービスMBA修了。

10/16 読書メモ:お父さん、「葬式はいらない」って言わないで

54冊目。

お父さん、「葬式はいらない」って言わないで (小学館101新書)

お父さん、「葬式はいらない」って言わないで (小学館101新書)

 

 所要時間約1時間。

「お葬式不要論」が出始めた時代、その道の第一人者である橋爪氏が葬儀の持つ本質的な意義について記した本。第一人者でありながら、いやあるからこそ、「必要だ」という通り一遍の肯定論に落ち着くことなく、極めて中立的・本質的な視点から、葬儀の持つ意味と意義を考えようとしている良書。

 あとがきに記されていた著者の言葉が、その思慮深さを表しているように思う。

「葬儀とはそういうものじゃない」と決めつけることも、「だから葬式なんて要らない」と、すべて否定することにも違和感がある。遺された人の悲しみを受け止め、これからの人生を歩んでいく力をもらう、儀式としての葬儀をないがしろにしてはいけないからだ。

 

形態が形式的だ、それぞれの儀式の意義が分からない、金銭面が不明瞭である、など、とかくハード面がやり玉にあがる葬儀だが、そもそも葬儀とは、遺族が悲嘆から立ち直るための最初のプロセスとして重要な意味を持っており、形がどうとか金額がどうとかいうハードの視点から議論をスタートさせること自体、本質を外してしまう、というのが著者の主張。

愛する人を亡くして悲しみに暮れている人の心の問題をどう解消していくか、というところから出発し、おそらく先人たちは様々な形で救いを求めてきたのだろう。それが、今なお脈々と続いている、お葬式の形式であり、文化である。

 

ただ経営と同じように、文化も外部環境の変化を受ける。

昔は死が身近にあり、近隣住民が助け合いながら葬儀を行ってきた。幼いころから人の死に触れる機会があり、死は生の隣にあることが当たり前と考えられていた時代。そうして葬儀に主体的に参加することで、遺族は故人の死を受け入れ、悲しみを癒してきた。

ところが今は、高齢化&核家族化で、地域コミュニティも希薄化し、親の葬儀まで30年間近親者の死に立ち会ったことがないという人が増えている時代。葬儀は葬儀会社が行って、儀式そのものが人任せになるから、意味が分からず金もかかるとなると、まあそこにありがたみを感じなくなるのも分かるといえば分かる。ただそれで、本来の役割である悲嘆からの立ち直りというところは解決できるのか?

 

葬儀は誰のためのものか?という問いに答えるのは難しい。これは、亡くなった人のためでもあり、遺族のためのものでもあり、生前の関係者のためのものでもある。

ただ、葬儀の役割は何か?という問いに対しては、明確に「遺族を悲嘆から立ち直るきっかけとなること」が挙げられるだろう。葬儀の問題は、本質的に"こころ"の問題である、極めてソフトなものなのだ。

 

普通に暮らしていたら全く考えることのない、こういう問題を考えることができる、最近の日々は大変だけど有意義なのだろう。

がんばる、がんばる。