ないものねだいありー

駆け出し社会人の内なる思考をこぼしていきます。読書メモ多め。グロービスMBA通学中。

12/19 メモ:経営者目線とは。「ドライ」な目線とは。そして、自分に巣食う正義とは。

本日は、HRMの先生と1時間半の個別相談会と、会社の先輩とのおよそ6時間にわたる飲み。

一見かけ離れたこの2つだけれども、最近ずっと自分がモヤモヤと抱え続けていた悩みに、打破するきっかけを与えてくれるような学びがあって、目が覚める思いだった。

まとまらないけど忘れないうちにメモ。

 

・最近自分が抱えていた悩みの発端は、HRMの講義の学びが腹落ちしないこと。レポートの評価が手ごたえと乖離していたこと、レポートの解説を聞いたら「分かる」けれども、自分がいざその立場に立った時に「できる」ほど消化しきれていなかったこと。このことが非常に強く印象として残っていて、結果HRMをDay6まで終えても学びがいまいちしっくり来ていなかった。これを要約すると、自分の価値観が邪魔をして経営者目線になり切れていない、ということ。逆にこの経営者目線というのは冷たくて自分の価値観に合わないのではないか?とまで思っていた。

 

・これに対して言われたことは、原理原則から外れたことは長く続かないし、お互い不幸になるということ。例えば特徴として人の流動性が高い業界で定着率を上げたい!と考えても、それは業界特性と逆行しているのだから当然スタンダードにはいかないし、定着を試みても相手はそれを求めていないため労力と時間とコストがかかる。であるならば、人が辞めていくことをむしろ受け入れて、トレーニングを効率的にしていくことを考えるほうが効率が良いし逆に良い人材が集まることにもつながり得る。このようなギャップが生じる背景は、結局経営者の根底に漠然と「長く続けることが良い」という美学があるからだ。しかし、この美学は本当に良いことなのだろうか?

 

・今回のレポートも、結局過剰な運用に不満を持った人が募らせて訴訟に至った。しかしその人たちに合わせて制度を変えると、競争力の源泉は失われるし、今活躍している大半の人は逆に不幸になるし、その程度で訴訟を起こすような人たちをそもそも引き留めておくこと自体がお互いに不幸であり、結局何とも整合せずLose-Loseな結果になってしまう。だから運用で解決するべき問題であり、制度は変えるべきではないという結果になる。

 

・結局自分は、やめ行く人を引き留めて長く居続けさせることに「正義」を感じていたのだ。さかのぼれば高校時代に部長をやっていた時からそうだ。それが相手にとって幸せなことなのか、自分にとって幸せなことなのか考えたことはあるのか。「いいこと」をしている自分に自己満足を感じているだけではないのか。こうやって自分を認識すれば、いわゆる経営者の目線に立って判断することを受け入れられるようになりそうだし、今までの自分の課題をもっと素直に把握できるようになる。と思う。

 

ここまでが、先生との個別相談で得た学び。

 

・こんな学びを得た後に会社の先輩との飲みの中で、とある別のA先輩の話題になった。そのA先輩と自分は年次が近いこともあって仲良くしていたが、一方で最近他責の傾向があり自分の能力を過信する傾向があり、違和感を感じていた。しかしそこに対してなかなか強く言えず、アプローチの仕方もわからずもやもやしていた。

 

・この時に、一緒に飲んでいた先輩から言われたことは、A先輩のことは気にしなければいいんだということ。A先輩に現状そういう気があることは先輩も認識していて、でもそこを今の私自身の立場から何かアプローチして変えるのは難しい。そしてA先輩は、現在はそこを変えるべきだとも思っていない(ように見える)。上司部下の関係でもない以上、そこに精神的・時間的に労力を割くこと自体がもったいない、といわれた。

 

・こうして書くと一見ドライに見えるけれども、逆に中途半端にアプローチしていくことのほうが、お互いに不幸になりかねない。だから(先輩後輩という関係の範囲内での一定のアプローチはしたうえで)ある程度の先を割り切ることは別に悪いことではないし、むしろそのほうがいい時もある。これを言われて、とても納得感があった。

 

・このことは、HRMの先生との個別面談で得た学びと驚くほど重なる点がある。私は結局、割り切ることは「見捨てる」ことであり、相手(A先輩)がかわいそうという「正義」を持っていたのだ。だから、中途半端にA先輩のある意味「面倒」を見ようとしていて、その見ている自分は「いい人」だという偽善心を持っていたのだと思う。でもそうではなく、現状を冷静に把握すると、ある程度のところで割り切ったほうがお互い幸せな状況だし、もしかすると長い目で見ればA先輩がそこに気づいてくれるかもしれないのだ。

 

・経営者目線は本当に「冷たい」のか。「ドライ」なことは悪なのか。そもそも「ドライ」とか「冷たい」とかは相対的なもので、自分の今の価値観が基準線になっていないか。中途半端なやさしさはかえって相手と自分をともに不幸にするのではないか。自己満足で偽善の域に入っているのではないか。こういうことを考えると、自分の価値観をこれから上書きして、いい方向に進むことができるようになると思う。

 

かなり雑多だけれども、こんな感じの話だった。

上書きには時間がかかるかもしれないけれど、確実に少し、変われそうな気がしている。